
(写真は中国雲南省の昆明の石林にいらっしゃったおばあさんたち。彼女たちの表情はなんとも美しかったことを、今も覚えている。)
秋菊打官司・The Story of Qiu Ju 秋菊の物語
満足度 ★★★★★
感動度 ★★★★★
話の展開 ★★★★★
色彩 ★★★★★
中国の描き方 ★★★★★
とうがらしの赤 ★★★★★
コンリーが出ていたよ~★★★★★
中国 香港 1992
原作 チエン・ユァンピン
脚本 リユウ・ホン
監督 チャン・イーモウ
キャスト コン・リー
レイ・コーション ほか
この映画も何度みたことでしょう・・・
以前に録画しておいたものを取り出し、久々に家族といっしょにみました。あまりにも古いビデオのために、途中でジージーが入ったのですが、底は我慢我慢。最後まで静かに、奥深く味わいながら、楽しんでみました。
映画は中国北部。陜西省の農村ですから、写真とは随分雰囲気は違いますが、農村や北京の様子などはどこかしこに懐かしさを覚えました。やっぱり中国も好きな国の一つだなと再度実感。
あらすじはここでは省かせていただき、私の独断と偏見による解釈だけを書きたいと思います。
この映画はコンリーや村長役のレイ・コーション以外は近隣の一般村民を起用されたとか・・・イラン映画のキアロスタミ(『友だちのうちはどこ』『オリーブ畑を抜けて』などの三部作で有名)を感じさせる部分もある。
一般村民を起用という展では共通点があるが、描き方は全く異次元。どちらがいいというわけではない。ただこの映画の場合は、コンリーと夫、村長と一部の役人や宿屋以外は黒子のように影を薄く描かれて、コンリーと夫、村長(役人)に焦点を絞る表現の上手さに乾杯。それぞれの監督に、それぞれのよさが感じられる。
勝気で美人で有名な妻(秋菊)は、反省しない村長の態度に納得できない。妊娠といった不安定な感情の揺れ動きも手伝ってか、ある出来事から村長や世間に、彼女にとっての正論を追求。とうがらしの赤の使い方は、彼女を実を削る思いで正論を通したいという思いが、味わい深く描かれている。
しかしそこは陜西省の農村の片田舎。彼女にとっての正論は角度を変えて、別の目でみると、見方も違ってくる。物事は一筋縄ではいかないといったことは、若い彼女にとっては把握に基準が低い。こういった出来事は、彼女に限らず世の常、日常茶飯事で私たちも犯している無意識の意識、或いは無意識の罪といってよいだろう。
秋菊は悪気無く、単に正論を唱えて、民事から刑事訴訟までに、ことを大きく発展させてしまう。
彼女の意識とは裏腹に、悪意無く、他の役人をも、そこに巻き込む。
この無意識の意識による悪意なき行動派、時として自分の意思とはかけ離れて、思わぬ展開を巻き起こす。
夫にレントゲン検査をさせる刑事。
そして秋菊の出産。
そんな折、妻は難産で命が危ない。村長の助けを借りて無事出産。
村長は夫に、
「村人が助け合うのは当たり前だ。訴訟とは別問題だから、訴訟したければするがよい。」
と、苦笑しながら微笑む。
出産のこともあり、秋菊は上機嫌。一時が万事、何もかもが上手くことが運ぶかのように見えた。
一ヵ月後の祝いの前日。秋菊は命の恩人の村長を訪ね、祝いにはぜひ来て欲しいと頼む。
村長は複雑な笑いを見せる。
そして祝い当日。村長の妻と子どもは祝いの席に姿を見せる。
秋菊は、
「村長さんは?」
とたずねる。村長の妻は、底抜けに明るい声で、
「鏡の前で、念入りにおめかししているよ。」
なんとも複雑な台詞・・・・・・
しばらくして村の役人が、せきをきらせてやって来る。役人曰く、
「レントゲンの結果、骨折だった。村長は十五日間、留置される。」
秋菊はあわてて丘に駆け上がる。
村長の家の方向からは、何台かのサイレンの音が遠のいてゆく・・・・・・
この映画の悲劇は、まずは悲しいほどの無知。
「反省してくれいった」正論を唱え、知らぬ間に秋菊の思惑から離れ、ことはどんどんと一人歩ききしていく。
そう、一人歩きの悲劇。
彼女も、そして村長も、中国の当時の『一人っ子政策』の悲劇から、ボタンを掛け違えてしまった被害者とも感じられる。
よって この映画には、あくまでも悪人は出てはこない。全てが善良な村の民である。
丘に走り、立ち尽くす秋菊は、ただ呆然と村長の家の方向を眺めていた・・・・・・
この映画も、私の好きな作品の一つです。